「仲秋の満月」 平城宮跡 朱雀門 (へいじょうきゅうせき すざくもん)|写真マイガーデンシリーズ


「仲秋の満月」 平城宮跡 朱雀門 (へいじょうきゅうせき すざくもん)

2016.09.19(00:01) 2465

「仲秋の満月」 平城宮跡 朱雀門 (へいじょうきゅうせき すざくもん)


    九月は旧暦八月なので「仲秋」(ちゅうしゅう)

        写真は 九月十七日の満月(望月)

    なので 「仲秋(旧暦八月)の満月」

        雲に隠れて なかなか顔を出さない お月さま

BEM14352.jpg



   やっと雲間から

      顔を覗かせる 名月

BEM14354.jpg



   ほんの一瞬 もったいなさそうに

      雲間から 朧に輝く 望月

BEM14355.jpg



   平城宮跡 朱雀門に浮かぶ

       奈良時代から変わらぬ

   「仲秋の満月」

SEM19255.jpg



   鵄尾(しび)の光背となって

      燦然と輝く

BEM14278.jpg



   金色の鵄尾(こんじきのしび)と

       朧月(おぼろづき)とのコラボ


BEM14382.jpg


「平城宮 朱雀門((すざくもん=復元)」
  奈良時代の都、平城京と宮城(大内裏)において南面する正門。
宮城の12の門のうち最も重要な門であった。「しゅじゃくもん」ともいう。

中国の条坊制を模範に造営された古代都城では、中央北辺に宮殿、官衙からなる宮城が置かれた。
  平城京では平城宮といい、大内裏とも呼ばれた。
大内裏には四方に12の門が備えられ、各々有力氏族の姓が付与されていた。
  南門は「天子南面す」というように、皇宮より京師を睥睨(へいげい)する最も重要な門であり、朝廷の有力氏族、大伴氏の姓が付けられ「大伴門」と呼ばれていた。
714年、これを漢風に改め、四神において南方を守護するとされる朱雀の名を冠したものとした。
  朱雀門から都城正門の羅城門に続く大路を朱雀大路といい、現在の千本通に相当する。
長岡京や平安京でも同じ名を冠した門を宮城正門とし、朝廷の正庁たる朝堂院の正門であった応天門などと並んで
  最重要視されたが、大内裏の衰微に従い次第に荒廃し、ついには鬼や盗賊が住むといわれるほどに荒れ果てたという。

平城京朱雀門は、考古学的研究と奈良県下の寺社に残る門を参考にして、
  五間三戸の二重門がかつての位置に等寸復元されることとなった(平城宮跡)。
1989年に決定された基壇の復原工事が1992年に終わると、門本体の復原工事は1993年に開始され、1998年に竣工している。

  ≪情報 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%9B%80%E9%96%80 より≫



  「仲秋の満月」 平城宮跡 朱雀門 (へいじょうきゅうせき すざくもん)



   
↓ブログランキングの応援クリック↓
   よろしくお願いします

自己啓発 ブログランキングへ

クメゼミ参加してみませんか?申し込みや詳細内容はこちらをクリック

<<石榴 (ざくろ) | ホームへ | 仲秋の名月>>
コメント
りらさん
コメントありがとうございます

素敵な短歌を添えて頂き ありがとうございます。

朧月が確かに 朱雀門とコラボと言うより 融合していますね
朱色に恋し
  頬染めしなり
待てば海路の日和あり
三時間待ってやっと撮れた写真たちです
恋しい思いが 満月にも通じたのでしょう
ほんのわずかな時間でしたが 魅せてくれました

りらさん
写真ライフ エンジョイしましょう~♪
 いつもありがとうございます。


> クメゼミ塾長様
> 朱雀門
>   住むかのごとし
> 朧月
>  朱色に恋し
>  頬染めしなり
 
【2016/09/19 01:48】 | クメゼミ塾長 #LCCNbXwA | [edit]
クメゼミ塾長様

朱雀門
   住むかのごとし
朧月
   朱色に恋し
   頬染めしなり


   
【2016/09/19 01:25】 | りら #sSHoJftA | [edit]
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する