宇陀市 阿騎野 人麻呂公園|写真マイガーデンシリーズ


宇陀市 阿騎野 人麻呂公園

2015.12.03(00:01) 2170

宇陀市 阿騎野 人麻呂公園


  奈良県宇陀市の阿騎野 人麻呂公園

    遺跡調査により この地に古代の狩場(薬猟)であった「阿騎野」の中心施設がおかれたことが判明しました。

  掘立柱建物跡などが発掘され 現在 遺跡公園として 写真のように

    柿本人麻呂像や 復元された堀立柱建物などがあります。


  写真は 紅葉と初冠雪

      タイミング良く 見事なコラボを 魅せてくれました

  人麻呂さん ありがとう (^^)v

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    現在の奈良県宇陀郡大宇陀町を中心としたこの一帯は、飛鳥時代には菟田の「阿騎野」と呼ばれ、大和朝廷の御狩場の一つがこの地におかれていました。

初夏を迎える5月になると、皇族たちや朝廷の高級官吏たちがこの地で薬猟(くすりがり)を楽しんだのでしょう。
薬猟とは、鹿の若角をとる猟のことをいう。
鹿の若角は鹿茸(ろくじょう)と呼ばれ、陰乾しにして補強壮剤として用いられた。

 『日本書紀』は推古天皇19年(611)夏5月5日に、菟田野で薬猟が行われたと記している。
菟田野とは宇陀の阿騎野のことだろう。
その日、参加者は夜明け前に藤原池のほとりに集合し、曙に出発した。
粟田細目(あわたのほそめ)が先導者として列の先頭に立ち、しんがりは額田部比羅夫(ぬかたべのひらぶ)が勤めたという。
さらに、参加者はみな冠位の色と同じ服を着て参加した。
さぞかし華やかな鹿狩りの光景が展開されたことであろう。


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  阿騎野は、奈良盆地と吉野地方、さらには伊勢方面を結ぶ交通の要衝にあたる。西暦672年6月24日、挙兵を決意した大海人皇子(おおあまのみこ)の一行が吉野を脱出して最初に立ち寄った場所でもある。大海人皇子に従った後の持統天皇やその子の草壁皇子にとって、阿騎野は思い出深い土地として長らく記憶に残ったであろう。

 それから20年後の持統天皇6年(692)、草壁皇子の遺児である軽皇子(683-707、後の文武天皇)の一行が狩を行うためこの地を訪れた。
一行に同行した宮廷歌人の柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)は、そのとき猟を始める払暁の雄大な情景を歌に詠みこんだ。

   ≪以上情報 : http://www.bell.jp/pancho/travel/ossaka/kagirohi-no-oka.htm 他より拝借≫


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  ひむがしの

    野にかぎろひの

      立つ見えて

    かへり見すれば

       月かたぶきぬ (巻1-48)


     柿本人麻呂


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    ≪本画像のみ ネットから拝借しました m(_ _)m≫


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  宇陀市 阿騎野 人麻呂公園


   
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