喜光寺(きこうじ) 山門と蓮華|写真マイガーデンシリーズ


喜光寺(きこうじ) 山門と蓮華

2015.06.30(00:01) 2012

喜光寺(きこうじ) 山門と蓮華


「喜光寺(きこうじ)」
  奈良時代に架橋、土木工事などの社会事業に携わり、東大寺大仏造立にも貢献した僧・行基が創建したと伝わる。
『行基年譜』(安元元年・1175年成立)によれば、菅原寺(喜光寺)は、養老5年(721年)、寺史乙丸なる人物が自らの住居を行基に寄進し、翌養老6年(722年)行基がこれを寺としたものであって、行基建立の四十九院の一つであるとされている。
寺地は平城京の右京三条三坊の九ノ坪、十ノ坪、十四ノ坪、十五ノ坪、十六ノ坪の計5坪を占めていたという。
なお、現・喜光寺本堂の位置は、右京三条三坊の十五ノ坪にあたる。

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『大僧正舎利瓶記』によれば、行基は天平21年(749年)この寺で82歳で死去したという。
なお、行基の墓は喜光寺から直線距離で7キロ離れた生駒市有里の竹林寺にある。
前出の『大僧正舎利瓶記』は、行基墓から出土した銅筒に記されていたものである。
1969年に境内の発掘調査が行われ、現・喜光寺本堂は、奈良時代の創建本堂の跡に建てられていることが確認された。
創建金堂の基壇は東西が28メートル、南北が21メートルの規模であった。
そこから南に42メートル離れた場所に南大門跡とみられる建物跡があったが、礎石は残されていなかった。
一方、「菅原寺記文遺戒状」という別の史料によれば、この寺は霊亀元年(715年)、元明天皇の勅願により建てられたものという。
創建当初は菅原道真の生誕地と伝わる菅原の里にあることから「菅原寺」と呼ばれていた。
伝承によれば、聖武天皇が参詣した際に当寺の本尊より不思議な光明が放たれ、これを見た天皇が喜んで、「菅原寺」を改めて「喜光寺」としたという。
『続日本紀』によれば、延暦元年(782年)、この地に住んでいた土師氏が桓武天皇から菅原姓を賜ったという。
中世には興福寺の末寺となり、直接には興福寺の塔頭の一つであった一乗院に属した。
戦国時代に伽藍のほとんどが兵火により焼失したが、間もなく再建された。
明治時代には薬師寺の末寺となった。現在は同寺唯一の別格本山という。

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「南大門 」
再建後に再び焼失。再び再建され2010年5月に落慶法要が営まれた。

≪以上 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E5%85%89%E5%AF%BA より≫


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コメント
りら さん
コメントありがとうございます

「喜光寺」いい名前ですね
山門は新たに 宮大工によって 再建されました
残念なのは 目の前に高架のバイパス道が走っています
高架のバイパス道が目立たないように撮りました

出来れば曇りの方が 優しく撮れたのですが
晴れた空なので 青空を逆に利用し 空に抜いたアングルで
 あまり撮ったことのないアングルで撮ってみました

りらさん
もう7月になりますね
体調に気を付けて
写真ライフも エンジョイしましょう~♪
 いつもありがとうございます。


> 喜光寺について書かれた詳細な文面 拝読させて頂きました
> お写真
> 朱色の山門と蓮の花のコラボーレーション
> 素晴らしいですね
> アングルを考慮され 蓮の花が山門を覆うかのごとく撮影されています
【2015/06/30 17:30】 | クメゼミ塾長 #LCCNbXwA | [edit]
クメゼミ塾長さん

喜光寺について書かれた詳細な文面 拝読させて頂きました

お写真
朱色の山門と蓮の花のコラボーレーション
素晴らしいですね
アングルを考慮され 蓮の花が山門を覆うかのごとく撮影されています

【2015/06/30 07:34】 | りら #sSHoJftA | [edit]
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